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東京高等裁判所 昭和59年(う)445号 判決 1984年11月22日

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役一年六月に処する。

この裁判の確定した日から三年間右刑の執行を猶予する。

原審及び当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、検察官峰逸馬が提出(作成名義は増田豊)した控訴趣意書に、これに対する答弁は、弁護士松下照雄、同斉藤正和が連名で提出した答弁書に、それぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用する。

所論は、要するに、原判決は、本件の公訴事実である「被告人は、昭和五六年七月五日午後一〇時二〇分ころ、千葉県市川市田尻四丁目一四番二四号先路上において、播磨安年(当時三一年)に対し、その右顔面付近を足蹴にして、同人をコンクリートの路上に転倒させる暴行を加え、よつて同人に頭蓋骨骨折等の傷害を負わせ、よつて、同月一三日午前一一時二五分ころ、同市二俣一丁目二番五号所在の中沢病院において、同人をして右傷害による脳硬膜外出血及び脳挫滅により死亡するに至らしめたものである。」との事実について、その外形事実を認定したうえで、被告人の本件行為は誤想防衛に該当して故意が阻却され、また右誤想したことについて被告人には過失も認められないので、被告人の本件行為は罪にならないとして、被告人に無罪を言い渡したけれども、本件を目撃した証人らの証言等によると、被害者が、甲野花子及び被告人に対し、急迫不正の侵害をなした事実は存在しないばかりか、被告人において右の侵害があるものと誤想するに足る事実すら認められないのであるから、本件は、正当防衛はもちろん誤想防衛の成否を論ずる余地のない事案というべきであるのみならず、仮りに被害者がファイティングポーズのような姿勢をとつたことがあつたとしても、被告人の本件回し蹴りの行為はやむを得ない反撃行為に当たらないばかりか、相当性を欠くものであり、また、被告人が急迫不正の侵害があるものと誤想したものとしても、誤想したこと自体重大な過失を含む極めて軽率な判断であつて、誤想したことにつき相当な理由があつたとはいえず、したがつて、誤想防衛は成立しないものであるから、被告人に対し無罪を言い渡した原判決には判決に影響を及ぼすこと明らかな事実の誤認があるとともに、ひいては誤想防衛に関する法令の解釈適用を誤つた違法があるから、原判決は破棄を免れないと主張する。

よつて、所論にかんがみ記録を精査し、当審における事実取調べの結果をも参酌して検討すると、以下において認定するとおり原判決には事実を誤認し、ひいては誤想防衛に関する法令の解釈・適用を誤つた違法があるものと認められる。

一、播磨安年の甲野花子に対する暴行について。

まず、本件の発端となつた播磨安年の甲野花子に対する暴行の有無、程度、態様等について検討するに、本件各証拠によれば、

(一)  本件の被害者である播磨安年(当時三一歳、以下「被害者」という)は、本件当日の昭和五六年七月五日午後六時すぎころから、知人で日頃から親しくしていた甲野夫妻、、大越夫妻を自宅に招いて飲食を共にし、次いで妻光代(現姓武田)もまじえて右の全員で午後八時ころから近くの同市田尻五丁目所在のスナック「サワ」に赴き飲酒した。右大越夫妻は間もなく帰宅したがその後午後一〇時すぎころになり右店内において右甲野花子の夫と他の客との間にトラブルが生じ、その際聊か酒癖のよくない右甲野花子がひどく酩酊して右の客とさらにトラブルを生じそうな事態となつたため、被害者が同女をなだめて帰宅させるべく店外に連れ出し、その夫や播磨光代もこれに続いて店外に出た。また同店経営者小沢和子、同店従業員星里美も右甲野花子がひどく酩酊していたので、タクシーを呼んだ方がよいのではなかろうか等と案じて店外に出て、右被害者らの傍に赴いた。

被害者は、右酩酊した甲野花子を連れ帰るべく同女をなだめながら右「サワ」の店舗前の幅員約7.3メートルの県道を横切り、同店と反対側の同市田尻四丁目一四番二四号所在の福田光司方倉庫前コンクリート舗装された車寄せ上まで同女を連れて行つたが、そのころ同女の夫が右店内に戻つたのに気付いた同女が、「てめえ出てこい」などといつて自分の夫を罵りながら暴れ出したため、被害者が、「やめなさい」などといつてなだめながら同女の腕を押えるなどすると、今度は同女は被害者に対し「お前、播磨、うるさい」、「放せ」など毒づいて暴れ、被害者の手を振り払おうとするなどして同女と被害者とが揉み合う状態となつたが、そのうち同女は背後にあつた前記倉庫の鉄製シャッターに大きな音を立てて頭部ないし背中をぶつけ、そのまま右コンクリート上に尻もちをつく形で転倒した。

(二)  右甲野花子が右のように転倒した経緯について、被告人は原審公判廷において、「男の人は女の人の腕をつかまえて、強く引つ張り回そうとしておりました。女の人はそれをのがれたいというふうにしておりました。どうしてわかつたかというと、彼女の髪が非常に揺れておりましたんで、一生懸命のがれようとしているということがわかりました。」「そのあと直ちに男の人が女の人を道に投げ倒したのを見ました。それははつきり見ました」旨供述し、当審公判廷においても略同趣旨の供述をし、また、被告人の司法警察員に対する供述調書中にも「白い半袖のTシャツを着た男が、髪を長くのばした色付きのドレスを着た女の人に向かつて、その理由はわからないが、投げ転ばす暴行を加え、その女の人を、建物のシャッターにぶつけた」旨の供述記載があるけれども、他方において現場で右の状況を目撃した目撃証人の証言をみると、まず原審証人小沢和子は、検察官の主尋問に対して、被害者が右甲野花子の腕を持つていたが、同女が「ふざけるんじやない」と言つて被害者の腕を払つたら、後ろのシャッターにぶつかり、そして尻もちをついたという感じになつた旨証言しながら、弁護人の反対尋問に対しては、被害者が右甲野花子の左腕辺りを払いのけるようにしたら同女が倒れて尻もちをついたという趣旨の証言をもしており必ずしも明確ではないけれども、反対尋問に対する証言どおりとしても、被害者が右甲野花子の腕を払いのけるようにしたら同女が尻もちをついたというのであり、また、原審証人星里美も検察官の主尋問に対しては、右甲野花子は酔つていたため倒れたのではないかと思うが余り記憶していない旨証言しているが、弁護人の反対尋問において、検察官の取調べを受けた際には、右甲野花子がおとなしくならないので被害者が押したらシャッターにぶつかつた旨供述しているが、どうかとの問に対し、取調べでは記憶のとおり話しだが、今は記憶していない旨証言しており、右反対尋問に対する証言どおりとしても、被害者が右甲野花子を押したらシャッターにぶつかつたというのであり、また原審証人森沢武は、酔つていて、もみ合つて転んだんではないかと思う旨証言し、さらに原審証人武田光代は、被害者が右甲野花子の手を持つていたので、同女が放せと言つて自分で手を振ろうとした時に、被害者がいい加減にしなさいと言つて手をぱつと離したら、同女は尻もちをついた旨証言していて、目撃者の証言は必らずしも一致していないけれども、右供述記載、各証言に前記認定のような右の事態に至るまでの経緯を併せ考えると、精々被害者が、酔つて暴れるような状態の右甲野花子をなだめながらその腕を持つていたが、同女が放せといつて自分で手を振りほどこうとしたので、その手を引つ張つた、または振り払つた、若しくは押したら同女が尻もちをついて倒れたというものであると認められるのであつて、前記の被告人の原審及び当審公判廷における供述、司法警察員に対する供述調書中の供述記載はその態様が誇張されていて必らずしも措信し難いものと考えられる。もつとも、前記証人甲野花子の証言によると、事件直後に同女の肘と手首の間にあざが認められ、また後頭部にこぶが出来ていたことが認められ、弁護人は、右の事実をもつて、被害者が怒つて同女を投げ飛ばした証左であるもののように主張し、なる程右後頭部のこぶはシャッターにぶつかつた際に生じた可能性を否定することはできないけれども、前記認定のように同女はひどく酩酊していたものであるから、制禦力を失つていてひどくぶつかつたものと認めるのが相当であつて、投げ飛ばすような強い暴行によつて生じたものとは必らずしも認めることはできない。また、右あざの生じた原因は証拠上不明というほかないが、ただ倒れた際に生じたものとしても、右と同様強い暴行によつて生じたものとは必らずしも認めることはできないものというほかない。また、弁護人は、右甲野花子が、被告人に対し、「ヘルプミー」と繰り返し叫んでいたのも、被害者の怒りから逃れようとして必死に助けを求めた態度の現れにほかならないと主張するけれども、後記認定のように同女が「ヘルプミー」、ヘルプミー」と叫んだのは、被告人が同女を抱えて助け起こそうとした際であつて、酔つた同女が、外国人であるのに気付いて英語で右の如く叫んだ真意は証拠上明確ではなく、ただその場の状況から判断して、右弁護人所論のように被害者の怒りから逃れようとして必死に助けを求めたものと断定することはできないものと考える。

(三)  然しながら、後記認定のように、被告人は「やめなさい。レディですよ」などと言いながら被害者と右甲野花子との間に割つて入つたことは証拠上動かし難い事実であり、また、前記認定のような本件現場の状況の経緯について、被告人はこれを全く知るに由ないものであつたこと、当時は夜間であつて、街路灯などはあつたものの、現場には照明はなく薄暗く人の見分けがつく程度の状況であつたことなどの諸事情に徴すると、暴行の程度は前記の程度であつたとしても、被告人は、捜査段階以来一貫して供述しているように、その外形状況から被害者が女性に不法な暴行を加えたものと思い込んでいたものと認められる。

二、急迫不正の侵害があつたとの被告人の誤信について。

次に、急迫不正の侵害があつたとの被告人の誤信の有無について検討するに、

(一)  まず、本件各証拠によると、被告人は英国人であり、昭和四八年英国滞在中の日本人密岡とみ子と結婚し、同年同女とともに来日し、以来日本に居住しているものであるが、本国において空手を習つていたこともあつて、日本の各種の武道に興味を抱いて空手、居合道、杖道、柔道、中国拳法等を習い、本件当時剛柔流空手三段、居合道三段、杖道二段、柔道一級の腕前を有し、昭和四九年三月以降本件当時までトーマス外語学院で英語の教師をしていたものである。

被告人は、本件当夜、映画を観て地下鉄東西線原木中山駅から自転車で帰宅途中、右「サワ」前路上にさしかかつたところ、同所に人が出ていたことから前記被害者と甲野花子との揉み合いに気付き、さらに前記のように同女がシャッターにぶつかるのを目撃し、被害者が女性に対し乱暴しているものと思い込み、同女を助けるべく自転車から降りて右両名に近づきながら日本語で「やめなさい、その人はレディーですよ」などと叫び、被害者に背を向ける形で二人の間に割つて入つた。被告人が右場所に行く途中、被告人が何か勘違いをしていると感じた前記星里美は、被告人に近寄りながら、「なんでもないから、大丈夫ですよ」といい、また前記播磨光代も手を左右に振りながら、「ちがいます」などと注意したけれども、被告人は、これには何の反応も示すことなく、尻もちをついている同女の両脇を抱えて助け起こそうとした。しかし、酔つていた同女は立ち上ることができず、「大丈夫ですか」と尋ねた被告人に対し、最初、「助けて」といい、次いで被告人が外国人であるのに気付き、「ヘルプミー、ヘルプミー」と叫んだところ、被告人は、同女の手をはなして被害者の方を振り返り、両手を胸あたりの高さで被害者の方に向けて突き出すようにしつつ若干被害者の方に近づき、次いで無言のまま、とつさに靴をはいたままの左足の甲を使つて被害者の右顔面付近に対し回し蹴りを加えた。そのため同人はその場に後ろ向けに電信柱が倒れるように(証人森沢武)あるいは鉛筆が倒れるように(証人越川憲明)転倒し、その際左側頭部をコンクリート床に強打した。被告人は、その後、甲野花子に対し、「大丈夫ですか」などと声をかけ、被害者が後ろ向けに転倒し、同人の妻光代や前記「サワ」の経営者小沢和子らがかけ寄り救急車などと騒いでいるのを知りながら、「警察を呼んで」などといつたのち、その場から立ち去つた。被害者は、被告人の右暴行により左側頭部に長さ約一一センチメートルの骨折、左硬膜外血腫等の傷害を負い、直ちに近くの中沢病院に収容され手術を受けるなど治療を受けたけれども意識が回復しないまま八日後の同月一三日脳硬膜外出血及び脳挫滅により同病院で死亡した。以上の事実を認めることができる。

(二)  ところで被告人が回し蹴りをした経緯にについて、原判決は、被告人は、体を右に回転させて播磨安年の方に向きを変え、甲野花子に対して更に攻撃を加えることはやめるようにという意味で両手を胸の前に上げ、その掌を播磨安年に向ける仕種をしたところ、同人は左足を右足よりもやや前に出し、胸の前で両手を拳に握つて左手を前に右手をやや後に構える、いわゆるボクシングのファイティングポーズのような姿勢をとつたので、同人が甲野花子に対して暴行を加えていたものと思い込んでいた被告人は、これを見て、更に播磨安年が甲野花子のみならず自分に対しても殴りかかつてくるものととつさに判断し、同女及び自己の身体を守るため、殴られまいとして播磨安年の右顔面付近を左足で回し蹴りにしたものであるけれども、被害者は同女や被告人に積極的に攻撃を加える意図まではなかつたものであつて、被告人が見たところの播磨安年の両手を拳に握つて構えた姿勢というのは、むしろ防禦的な身構えの姿勢に過ぎなかつたと認めるのが相当であるから、急迫不正の侵害は存在しなかつたものであるが、しかし被告人は、甲野花子及び自己の身体に対する急迫不正の侵害があるものと誤想し、その防衛行為として前記左回し蹴りを行つたものである旨判示しているところ、所論は、被害者がファイティングポーズのような姿勢をとり、甲野花子及び被告人に対し急迫不正の侵害をした事実は存在しないばかりか、被告人において右の侵害があると誤想するに足る事実の存在すら認められないから、本件は、正当防衛はもちろん誤想防衛の成否を論ずる余地はない旨主張する。

1  そこで検討するに、まず被告人の司法警察員に対する昭和五六年七月七日付供述調書中には、シャッターの前に座り込んでいる女性の前に行き、そしてそばにいた男の方を見ると、その男は私に向つてボクシングのファイティングポーズを見せたので、自分に対しても暴行を加えて来ると思つた旨の供述記載、被告人の検察官に対する昭和五七年三月一八日付供述調書中には、女を助け起こそうとしたが、起きようとする気配がないので手を離し、その直後、もし男が何か攻撃を加えてくるようならば相手を押し返そうという考えから、自分の体を右に回転させて両手を広げ自分の胸の前あたりにあげ、手の平を男の方に向けた、私が向きを変えた際、その男は、右足が後ろの状況で、両手を胸の前に上げげんこつで構える状況で、それは、ボクシングのファイティングポーズの状況で左手のこぶしがやや前で右手のこぶしが後ろの状況であつた、私はその男が私に対して明らかに殴つてくるものと思つた旨の供述記載がそれぞれ存し、また被告人の昭和五六年七月一四日付供述書中には、女を助けて立たせようとするのをやめて、男と向い合つたが、男の敵意を持つた行動を止めさせようとしてなだめる態度で両手を差し出したところ、男はそれを見てすぐ攻撃的な態度をとり、握り締めたげんこつの両手を持ちあげ、私は間違いなく殴られるだろうと思つた旨の記載があり、更に、被告人は、原審公判廷において、女性を立たせようとするのをやめ、右の方に向き直り、男の人がまた彼女に攻撃を加えることを止めさせるために、やめてくださいという意味で、両手を前に低く出したが、その後すぐ、彼が両手をこぶしに握つて、左手が前で右手がやや後ろで持ち上げるのを見た、それは止つていたのではなく、私に対して手を突き出して、実際に私に攻撃をしかけるような仕草を示した旨供述し、当審公判廷においてもほぼ同趣旨の供述をしており、その供述内容の細部には幾らかの変遷はあるものの、被害者がいわゆるファイティングポーズのような姿勢をとり、被告人をも攻撃しようとしたとすることについては、捜査段階以来その供述は終始一貫しているものということができる。

2  しかし、被害者は、前記のように、酩酊していた甲野花子をなだめ連れて帰ろうとしていたのであつて、たまたま同女が倒れシャッターにぶつかる事態が発生したとはいえ、被害者が自宅まで招いて親しく付き合つていた同女に対し悪意を抱いて積極的に暴行を加えたものとは認められないこと、関係証拠を検討するも、同女が倒れた後、被害者が同女となおも揉み合うような状況は全くなく、被害者は同女からやや離れて立つていたままであり、当時の現場において被害者がたまたま入つてきた外国人に攻撃を仕掛けるべき動機は全くなく、そのような行為に出ることを窺わせるような緊迫した雰囲気も認められないこと、被害者は、蹴られたのち前記のように電信柱が倒れるように、あるいは鉛筆が倒れるように後方部に転倒して頭部をコンクリート路面に打ちつけており、このことは身構えていなかつたことを窺わせること、前記のように被告人の供述内容には若干の変遷があること、また後記のように、被害者がファイティングポーズのような姿勢をとつたとするのは被告人のみであり、目撃証人は何れも右の姿勢をとるのを見たとは証言せず、右を否定する証言も存することなどの事情に徴すれば、被害者が被告人の供述するようなファイティングポーズのような姿勢をとつたことはなかつたのではないかとの疑念もないではない。

3  しかし、被告人は、前記認定のように、「やめなさい、レディですよ」などと言いながら介入しており、また被告人は、同女を助けるため、純粋に善意から介入したものであつて、被害者に個人的な恨み等があつたものではないこと、被害者において被告人を攻撃する意思はなく、被告人が向き直るまでは手を下げていたものであるとしても、前記のように長身の外国人である被告人が急に振り向き両手を突き出すようにして近づいてきたことから、被害者が驚ろいて反射的に手を上げて防禦するように身構える可能性も十分あり得ると思われること、また、被害者が右のような姿勢をとつたとしても、それは後記認定のような被告人が両手をひろげて近寄つて来たのを防禦するため両手を上げたに過ぎず、それを被告人が、被害者が攻撃の姿勢をとつたものと誤認したに過ぎないから、空手三段の腕前で左回し蹴りを得意業とする被告人の左回し蹴りの早業を受けて転倒したことをもつて直ちに必らずしも同人がファイティングポーズのような姿勢と被告人には見えた姿勢をとつていなかつたものとなすことはできないこと、原審証人星里美は、被害者は蹴られる前甲野花子の方を見ていたのであつて、被告人とは正対していなかつた旨供述し、原審証人越川憲明、同森沢武もこれにそうように被害者が同女の方を見ていた旨供述するけれども、右証人らは終始両人の動静を注視していたものではないことなどの事情に徴すれば、被告人が本件の回し蹴りをする直前において、被害者がいわゆるファイティングポーズのような姿勢をとつたことはなかつたと断ずることはできず、被害者が右のような構えをしたとの前記被告人の供述はあながち不自然、不合理であるともいえず、これを排斥することはできないものと考える。

4  もつとも、所論が指摘するように、被害者が右ファイティングポーズのような姿勢をとるのを見たと述べるのは被告人だけであり、他の周囲にいた者らはいずれも被害者が右のポーズをとつたことを見たとは述べず、かえつて原審公判廷において証人星里美は、被害者は蹴られる前は手を下げていた旨供述し、同じく原審証人武田光代(旧姓播磨)も、蹴られる直前ではないけれども被告人が割つて入つてきたところ被害者は手を下げていた旨供述し、また原審証人越川憲明も、被害者が手を上げたりするのを見ていない旨供述しているけれども、右証人らは、いずれも外国人である被告人が本件に介入してきたという、事の意外な成り行きに注目し、被告人が甲野花子を助け起こそうとしていたころは、当然被告人及び同女の方に関心が集中していたと思われ、前記証人星里美も、絶えず、被害者の方ばかりを見ていたわけではなく、被害者の方を見た時には同人は手を下げていたが、同人を見ていない時にその手がどうなつていたかはわからないとも供述しており、また、前記の蹴られる前に被害者は手を下げていたとの供述部分についても、被害者は後記のように蹴られる直前に被告人が近づいて来て反射的に両手をあげたものであつて、右星の視力は、左眼0.2、右眼0.1と悪く、前記のように現場は必ずしも明るくはなかつたものであるから、右の動作を見逃がした可能性がないとは断定し難く、同女の目撃供述が細部まで絶対的に信用することができるほど正確なものか若干の疑念なしとしないこと、証人武田光代の前記証言は前記のように被害者が蹴られる直前のことをいうものではないこと、また前記証人越川憲明は、丸義飯店前路上から本件を目撃したものであつて、本件現場とは若干の距離があり、しかも現場は薄暗く、さらに同人が一方では、蹴られる前に被害者がどんなことをしていたかについては「見ていない」とも供述しているのであり、これらにかんがみると、同人の前記「被害者が手を上げたりするのは見ていない」旨の供述も、これをもつて直ちに被害者が前記ポーズをとらなかつたと断定する証拠とするにはその証拠価値に疑問があると言わざるを得ないこと、原審証人森沢武も、所論指摘のとおり被害者が被告人に蹴られて倒れた状況を目撃していながら、被害者がファイティングポーズをとつたか否かについて何ら証言するところがないけれども、右の事実をもつて被害者が前記のような姿勢をとつたことがないと断ずる証拠とはなし得ないこと、以上のような諸点にかんがみると、本件目撃証人らの証言をもつて、直ちに被害者が前記のような姿勢をとつたことはないと断ずることはできないものと言わなければならない。

5  以上のとおりであつて、被害者は、甲野花子に悪意を抱いて暴行を加えていたものではなく、同女に対しては勿論、被告人に対しても暴行を加えるべき動機・原因は全くなく、またそのような雰囲気もなかつたものであつて、被害者は、被告人が両手を前に出して近寄つて来たため反射的に両手を胸の前辺りにあげて防禦の姿勢をとつたものであつて、被告人や甲野花子に対し攻撃を加える意図で右の姿勢をとつたものではないと推認するのが相当であり、これに対し、被告人は、甲野花子が尻もちをついて倒れるに至つた経緯を全く知らず、そのため自己が目撃した外形状況から同女が被害者から不法な暴行を受けているものと速断して同女を不法な暴行から救うべく同女と被害者との間に割つて入つたものであり、被害者が両手を胸の辺りに上げたのがファイティングポーズの姿勢のように見え、被告人や甲野花子に攻撃を加えようとしたものと誤認し、自己及び甲野花子の身体を守るため、とつさに回し蹴りの行為に出たものと認めるのが相当である。

なお、被告人は、被害者と向い合った際、被害者は現実に殴りかかつてきた旨、すなわち、被害者の手拳が自分の方に動いてきた旨供述するけれども(被告人の原審及び当審公判廷供述)、被告人は、捜査段階ではそこまで供述しておらず(なお、本件捜査では被告人は身柄を拘束されていない)、被告人作成の前記供述書においても、「握り締めた両手のこぶしを振り上げた」旨の供述記載があることに徴すると、被告人の右公判廷供述部分はたやすく信用することはできず、被害者が被告人に対し殴りかかつてきたとは到底認めることができない。

以上のとおり、本件においては、急迫不正の侵害があつたものとはいえないものであるけれども、被告人は、急迫不正の侵害があるものと誤想して反撃行為に出たものというべく、結局、この点においては、右と同旨の認定をした原判決に誤りはない。

三、誤想防衛の成否について。

(一)  右認定のように、本件においては急迫不正の侵害が存在したものとはいえないけれども、右の如く急迫不正の侵害があるものと誤認して防衛行為を行つた場合に、右防衛行為が相当であつたときは、いわゆる誤想防衛として事実の錯誤により故意が阻却され、犯罪は成立しないものと解するのが相当である。しかし、防衛行為が相当性を欠き、過剰にわたるものであるときは、少なくとも後記のように防衛行為の相当性を基礎づける事実につき錯誤の存しない本件の如き場合においては、事実の錯誤として故意の阻却は認められないものと解するのが相当である。ただこの場合においては正当防衛との均衡上、過剰防衛に関する刑法三六条二項の規定に準拠して、刑の軽減又は免除をなし得るものと解するのが相当である(最高裁昭和四一年七月七日第二小法廷決定・刑集二〇巻六号五五四頁参照)。

なお、所論は、誤想防衛が成立するためには、右の相当性のほかに、当時の客観的事情からみて、犯人が認識(誤信)したような急迫不正の侵害があると誤想したことが相当と認められることが必要である旨主張するが、勿論錯誤の有無の認定は慎重になされる必要があることはいうまでもないけれども、所論のような相当性が認められることが誤想防衛成立の法律的要件であると言えないことは、誤想防衛が事実の錯誤の一場合であることから当然の帰結であると言わざるを得ず、前記最高裁判例も右の趣旨に出たものと解するのが相当であると考える。所論引用の東京高裁昭和三二年七月一八日判決(東京刑特報四巻一四・一五号三五七頁)は、その前段において「誤想防衛が成立するのは、犯人の認識した内容(誤想による侵害)が犯人のなした反撃行為を己むを得ない防衛行為と認めさせる程度の急迫不正の事由に該当するものであつて、且つ当時の客観的状況から見て、犯人がそのような急迫不正の侵害があると認識したことが相当と認められることを要すると解すべきである」旨判示しているが、後段において「しかるに本件の場合のように被告人が相手方が右手をポケットに入れるのを見て刃物をもつているものと誤信し、機先を制し直ちに反撃に出たような場合は、被告人の認識した内容自体が未だ被告人のとつた反撃行為を必要己むを得ないものと是認させる程度の急迫性があるものとは認められない」旨判示しており、要するに被告人が認識(誤信)した不正な侵害行為が急迫性のあるものとは認められないとして誤想による防衛行為であることを否定したものであつて、従つて前段における判示中「犯人がそのような急迫不正の侵害があると誤認したことが相当と認められることを要する」とする部分は、いわゆる傍論であつて、判例としての拘束力を有するものではないと解すべきである。また所論引用の広島高裁昭和三五年六月九日判決(刑集一三巻五号三九九頁)が誤想防衛の成立を認めるにあたつて、「しかも被告人の右錯誤については記録上これが同人の責に帰すべき過失によるものとは認められない」と判示していることは所論指摘のとおりであるけれども、右の判示は誤想防衛の成立を認めて、傷害の訴因(一審は簡易裁判所)につき犯罪は成立しないとして無罪とするに当り、過失犯も成立しない旨を付加判示したものか、あるいは最少限度の要件とする趣旨で判示したものではないと解する余地もあるのであつて、所論のように錯誤に過失の存しないことが誤想防衛成立の要件であるとする趣旨であるかどうかについては疑問があるものと言わなければならない。以上のとおりであつて、右の所論は採るを得ない。

(二)  そこで、右被害者の行為が防衛行為として相当であつたか否かについて検討する。

1  まず、所論は、原判決は、被告人が相手を即時に転倒させる危険性の高い足払いや急所に打撃を与える急所蹴りを用いず、回し蹴りを用いており、しかも本件では被害者は足の虎趾(足の親指爪先裏付け根の堅い部分)を使わず、より威力の劣る足の甲の部分で打つたものであつて、通常打たれた者において簡単に倒れるほど強力なものではなく、現に被害者の右顔面付近には何らの損傷も生じておらず、被害者が転倒したのは、同人が相当酔つていたためと不意打ちであつたためであり、たまたま打ちどころが悪かつた点も重なつて被害者が死亡したものであること、被告人は相手をひるませて攻撃の阻止を企図したもので、転倒させることまで意図して本得行為に出たものではなく、本件の結果は予想外の結果であつたこと、以上のような事実が認められるとし、被告人が被害者に対し回し蹴りの反撃に及んだ行為は、相互の行為の性質、程度その他当時の具体的な客観的事情に照らして考察するならば、甲野花子及び被告人の身体を防衛するためにやむを得なかつたものと言うべく、防衛手段としては相当性を有するものであつて、防衛の程度を超えた行為ということはできない旨判示しているけれども、本件は空手三段の被告人が、被害者を蹴倒す意図のもとに被害者に歩み寄つて、その得意技である左回し蹴りによつて被害者の顔面を狙い打ちし、一方、武術の心得がなく、しかも、何らの準備も防衛もしていなかつた被害者は、右を防ぐすべもなく、回し蹴りを右顔面付近にまともに受けて棒倒しの状態で転倒し死亡するに至つたもので、右は単に打ち所が悪かつたなどの事情が重なつた偶然の結果と目すべきものではなく、その際、被害者が仮りにファイティングポーズのような姿勢をとつたにしても、被告人において右行為に及ぶ必要は全くなく、これがやむを得ない反撃行為でないばかりか、相当性を著しく逸脱する行為であつたことが明らかであると主張する。

2  本件各証拠によれば、被害者は空手を習得したことがあるものとは窺われず、また当時何らの兇器も所持せず素手であつたものであり、前記認定のように、同人が防禦のため両手を胸の前辺りにあげたのを、ファイティングポーズのような姿勢をとり、暴行を加えようとしたものと誤信した空手三段の腕前を有する被告人が、防衛のため、得意技である左回し蹴りを加えて被害者の右顔面付近に命中させ、転倒させて死亡するに至らせたものであるが、そもそも空手の回し蹴りは、一撃必殺ともいわれる空手の攻撃技の一つであつて、身体の枢要部である頭部、顔面を狙うものであるうえ、制御しにくい足技であるだけに、命中すれば場合によつてはその打撃により直接頭部等に損傷を与え、あるいは相手を転倒させる可能性も十分にあり、その際、打ちどころによつては重大な傷害や死の結果も発生しかねない危険なものであり、かつて全日本空手道連盟においてこれを禁止しようとする動きがあつたこと(当審公判廷における証人高木房次郎の供述)に徴しても、急所蹴り、足払いに較べ危険性の低いものであるとは必ずしもいいがたいように思われる。被告人は、相手を転倒させるつもりはなく、相手を驚ろかす目的で足の甲で最低の力で蹴つた旨供述するけれども(被告人の原審及び当審公判廷供述)、単に驚ろかせてひるませるのが目的であつたのであれば三段の腕前をもつてすれば、相手の顔面に蹴りを命中させることなく、その直前でこれを止めること等で十分に目的を達することが出来たものと考えられるのに、顔面付近をねらつて左回し蹴りを行つて命中させていること、被告人はとつさに自己の得意技である左回し蹴りを行つたものであること、回し蹴りを受けた被害者は前記のように尻もちをつくような形ではなく、「電信柱が倒れるように」「鉛筆が倒れるように」後方に倒れ、左側頭部をコンクリートの路面に強打し、致命的傷害を負つたこと、当時被害者は飲酒した後であつたとはいえ、さほど酩酊している状態ではなく、甲野花子をなだめるなど同行者の中ではしつかりしていた方であり(原審証人星里美、同武田光代の各供述)、わずかの衝撃を受けて転倒するほどは酩酊していなかつたものと認められること、被告人は、身長が約一八〇センチメートル(五フィート一一インチ)、体重も八〇キログラムをこえるという巨漢であつたから、空手の技を用い足で蹴る以上、ある程度力を加減したとしても、身長約一六〇センチメートル、体重約六〇キログラムの被害者に対してはなお相当の衝撃を与えることになると思われること、被害者の右顔面付近に挫傷、皮下出血等の怪我が存在したとは証拠上認められないものの、担当医師は当時被害者の救命措置に必死だつたため細部まで外傷の確認ができなかつた事情があり、被害者の右顔面に何らの損傷もないことが確認されたものではない事情があること(原審証人永津正章の供述)、回し蹴りが前記のように顔面・頭部という身体の枢要部を蹴るものであるのに制御がむずかしく、絶えず相手を転倒させる危険性を伴う危険な技である以上、よほどの熟達者でなければ相手を転倒させない程度に確実に自己の力を制御することはきわめて困難であると思われることなどの事情に徴すると、被害者が前記のような構えをしたにもかかわらず、全く不意を突かれたように蹴りを受けて転倒し致命的傷害を負つたことは、いかに足の甲の部分で打つたとはいえ、誤想防衛の蹴りが敏速であり、かつ、相当の衝撃力、威力を伴つていたことを示すものと言わざるを得ず、相手を驚ろかす目的で最低の力で蹴つたとの誤想防衛の供述部分をそのまま信用することはできない。原判決は、足の甲で打つた回し蹴りでは相手は簡単には倒れない旨及び本件の結果は予期せざる意外な結果であつた旨説示するけれども、足の甲で蹴つた場合であつても、体重が加わつたり、あるいは技量のある者が足の虎趾を使うのと同じように強いインパクトを相手に与えたような時には相当の威力を有するのであつて、足の甲で蹴つた方が虎趾よりも威力が劣るとは必ずしもいいがたいし(原審証人普木知徳、当審証人高木房次郎の各証言)、本件は、空手三段の腕前を有する被告人が、空手について素養があるとは窺えない被害者に対してとつさに空手技の中でも危険な回し蹴りを用い、しかも相手の顔面付近に命中させたものであり、以上のように蹴つた者の技量、彼我の体格、蹴られた部位、その時の相手方の状況等によつては、本件のように転倒することのあり得ることは容易に肯認し得るところであり、また、誤想防衛も、場合によれば被害者が転倒する可能性のあることも当然認識していたと認めるほかはない。

また、被告人は、当時の状況において回し蹴りをする以外に方法がなかつたとも供述するけれども(誤想防衛の原審及び当審公判供述)、そもそも空手の技は危険なものであつて社会一般の生活において容易に用いるべきものではないのであり、本件において相手方は兇器を所持していたわけでもなく、素手であつたものであつて、前記のようにファイティングポーズのような姿勢をとつたに過ぎないのであり、また、被告人は体力的にもはるかに勝り、しかも空手等の武道の修練を積んでいたのであつて、被害者に対し優位にあつたことが窺われるのであり、相手に対し警告の声を発するなり、腕を引き続きさし出すなり、回し蹴りをするにしても相手の身体に当てないようにするなりして相手の殴打行為を押し止め、あるいは相手が殴打してきた段階でその腕を払うなり、つかまえるなり、もしくは身を引くなり、防衛のために採るべき方法はいくらでもあつたと考えられ、回し蹴りの空手技を用いる以外に方法がなかつたものとは到底認めることができない。

3  以上認定のような諸事情のもとにおいては、誤想防衛の本件行為は、明らかに防衛行為としての必要かつ相当の限度を超えたものというべく、相当性を欠くものであることは明らかである。そしてまた、防衛行為としての相当性を基礎づける事実、すなわち、前記のような回し蹴りを行うことについては誤想防衛の認識に錯誤の存しないことも明らかであり、従つて少なくとも右のような事情のもとにおいては、本件行為については誤想防衛は成立せず、いわゆる誤想過剰防衛が成立するに過ぎないものといわなければならない。

結局、被告人の本件行為は防衛行為として相当性に欠けるところはなく、誤想防衛として被告人の故意が阻却されるとした点において、原判決には、判決に影響を及ぼすこと明らかな事実誤認ひいては法令の解釈適用を誤つた違法があり、原判決は破棄を免れない。論旨は理由がある。

四そこで、刑訴法三九七条一項、三八二条、三八〇条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書に従い、次のとおり自判する。

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和五六年七月五日午後一〇時二〇分ころ、帰宅途中、千葉県市川市田尻四丁目一四番二四号先路上にさしかかり、酩酊した甲野花子とこれをなだめていた播磨安年(当時三一年)とが揉み合ううち同女が同所倉庫の鉄製シャッターにぶつかつて尻もちをついたのを目撃して右播磨が同女に対し暴行を加えているものと誤解し、同女を助けるべく両者の間に入り、同女を助け起こそうとしたものの、同女が立ち上がることができず、次いで右播磨の方を振り向き両手を同人の方に差し出して同人の方に近づいた際、同人がこれを見て防禦するため手を握つて胸の前辺りにあげたのをいわゆるボクシングのファイティングポーズのような姿勢をとり自分に殴りかかつてくるものと誤信し、自己及び同女の身体を防衛しようと考えてとつさに空手技である左回し蹴りをして、左足を同人の右顔面付近に当て、同人をコンクリートの路上に転倒させる暴行を加えて同人に頭蓋骨骨折等の傷害を負わせ、その結果同月一三日午前一一時二五分ころ、同市二俣一丁目五号所在の中沢病院において、同人を右傷害による脳硬膜外出血及び脳挫滅により死亡するに至らせたものである。

(証拠の標目)<省略>

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法二〇五条一項に該当するところ、右は急迫不正の侵害がないのにあるものと誤想したうえ自己及び他人の権利を防衛するために出た行為であるものの、防衛の程度を超えたものであるから同法三六条二項、六八条三号により法律上の減軽をした刑期の範囲内ですべきところ、情状について検討すると、本件は前期認定のように、善意から出たものではあるにせよ、被告人が不注意にも事態を誤認したことに端を発し、空手の技を使用して被害者播磨安年を死亡させたものであり、同人は三一才の若さで、しかも結婚して間もなかつたものであるのに、故なく生命を奪われたものであつて、その結果は誠に重大であること、被害者には被告人から本件被害を受けるにつき何らの過失も存しないこと、被害者の遺族に対しては何らの慰謝もなされていないことに徴すると、被告人の刑責は重大であるといわなければならない。他方、被告人は、善意から女性を助けようとして本件に介入したものであり、事態を誤認したことは不注意のそしりを免れないけれども、わが国の生活、習慣さらには国民性等についての認識が十分でなかつたことも誤認をもたらした一因というべきこと、被告人は日本人を妻として二子をもうけ、来日以来善良な市民として生活してきたものであつて、勿論前科、前歴もないこと等の事情が認められ、以上の情状を考慮して、誤想防衛を懲役一年六月に処し、右の情状により同法二五条一項を適用してこの裁判の確定した日から三年間右の刑の執行を猶予し、原審及び当審における訴訟費用は刑訴法一八一条一項本文により全部これを被告人に負担させることとする。

なお、原審において、弁護人は、誤想防衛の本件行為は正当防衛にあたり、仮にそうでないとしても、被告人は、周囲の者が傍観しているだけで誰も甲野花子を救おうとしなかつたため、キリスト教的隣人愛に基づき、右情況を見すごすことができず本件行為に及んだものであつて、被告人には、他に適法な行為に出ることの期待可能性がなかつた旨主張するけれども、本件について正当防衛が成立しないことは前記判示のとおりであり、また、被告人が善意から本件に介入したものであることは明らかであるけれども、前記認定のように被害者は甲野花子に不法な暴行を加えていたものでもなければ、周囲の者が所論のように傍観していたものでも毛頭なく、被告人は軽々しく事態を誤認したものであつて、今少し注意を払えば当然本件で生じていた事態を正確に把握し、本件の結果は避け得たものであるのみならず、甲野花子を被害者の暴行から救う意図であつたとしても、当時の状況に照らし、その目的を達成するために、本件行為に出る以外に被告人に他の適法行為に出る期待可能性がなかつたとは到底いえない。弁護人の主張は採るを得ない。

よつて主文のとおり判決する。

(佐々木史郎 竹田央 中西武夫)

《参考・原審判決》

〔主文〕

被告人は無罪。

〔理由〕

一 本件公訴事実は、「被告人は、昭和五六年七月五日午後一〇時二〇分ころ、千葉県市川市田尻四丁目一四番二四号先路上において、播磨安年(当時三一年)に対し、その右顔面付近を足蹴にして、同人をコンクリートの路上に転倒させる暴行を加え、よつて同人に頭蓋骨骨折等の傷害を負わせ、よつて、同月一三日午前一一時二五分ころ、同市二俣一丁目二番五号所在の中沢病院において、同人をして右傷害による脳硬膜外出血及び脳挫滅により死亡するに至らしめたものである。」というのである。

二 そこで、検討するに、被告人の当公判廷における供述、証人甲野花子、同武田(本件当時の姓は播磨)光代及び同永津正章の当公判廷における各供述、鑑定人木村康の当公判廷における供述、第一回公判調書中の被告人の供述部分、第二回公判調書中の証人小沢和子及び同星里美の各供述部分、第三回公判調書中の証人森沢武及び同越川憲明の各供述部分、被告人作成の供述書、被告人の検察官(二通)及び司法警察員(三通)に対する各供述調書、永津正章の検察官及び司法警察員に対する各供述調書、医師永津正章作成の診断書(播磨光代作成の被害届添付のもの)及び死亡診断書、司法警察員作成の実況見分調書、弁護人松下照雄作成の報告書二通を総合すれば、以下の事実が認められる。

1 被害者播磨安年は、昭和五六年七月五日午後六時ころから、自宅において、同人の妻光代、親しい友人である甲野花子及び同女の夫らとともに飲食し、更に午後八時ころからは、千葉市田尻五丁目一五番五号所在のスナック「サワ」に右の全員で出向いて飲酒していたが、甲野夫婦がかなり酩酊してしまい、些細な事で他の客と揉め事を起こし、特に甲野花子は酒癖が悪く、喧嘩を始めそうになつたため、播磨安年は、午後一〇時ころ、甲野夫婦を店から連れ出して帰宅することとし、同店を出た。ところが、甲野花子は、まだ店に残りたい言動を示して大声で喚き散らしていたので、播磨安年は、酔つているから帰ろうとたしなめ、甲野花子を抱えるようにして店の前の道路を横切り、向い側の同市田尻四丁目一四番二四号福田光司方倉庫前のコンクリート舗装された敷地上まで連れて行つたが、甲野花子は、同女の夫が再び「サワ」店内に戻つてしまつたのに気付いて怒り出し、「甲野、てめえ出て来い。」「こうなつたのもてめいのせいだ。」などと大声で喚き散らして暴れ出したため、播磨安年は、再三「酔つているからもう帰ろう。」などと言い同女の腕を手で掴むなどして同女をたしなめた。しかし、同女はこれを聞き入れようとせず、かえつて、播磨安年に対しても「うるせえ、播磨。放せ、この野郎。」などと喚きながら一層暴れるに至り、両者は同所で揉み合う状態となるうち、播磨安年が、甲野花子の腕を払いのける格好となり、そのため同女は倉庫のシャッターに頭を打ちつけて大きな音をたて、コンクリート面に尻もちをつくようにして転倒した。

2 ところで、被告人は、英国人であり、昭和四八年に日本女性と結婚し、まもなく妻とともに来日して日本に住むようになり、英会話を教えるかたわら、空手、柔道等を習つていたものであるが、日本語に対する理解力は未だ十分とはいえない状態にあつた。そんな昭和五六年七月五日午後一〇時二〇分ころ、被告人は、映画を見ての帰途自転車に乗り原木中山駅方面から稲荷木方面に向け道路左端付近を進行してスナック「サワ」の手前あたりに来た際、「サワ」の入口付近に三、四人の者が群がつているのを認め、道路中央寄りに進路を変えて進行しようとしたところ、道路右側の前記福田光司方倉庫前付近において、播磨安年と甲野花子が揉み合つているのに気付き、「サワ」の手前で止まつて見てみると、播磨安年が甲野花子の肩や腕に手をかけ、同女の体を引いたり押したりしている様子であり、これに対し、同女は何か声を出しながらそれから逃れようとしているように見えたが、その直後、播磨安年が甲野花子の腕を引つ張つたように見えた途端、同女が倉庫のシャッターにぶつかつて大きな音をたて、コンクリート面に倒れるのを目撃し、同時に甲野花子が「助けて」と叫ぶ声を聞いた。そこで、被告人は、甲野花子が播磨安年から暴行を受けているものと思い込み、甲野花子を助けなければならないと考え、その場で自転車から降りながら、播磨安年の方に向かつて「やめなさい、女ですよ。」と叫び、直ちに同女の側まで歩み寄つて、播磨安年に背を向ける形で二人の間に割り込み、両手で甲野花子の両腕を掴んで「大丈夫ですか。」と尋ねて、同女を助け起こそうとしたけれども、同女は起き上がれるようではなかつたので、同女から手を放したが、その際、同女は、被告人に対し、初め「助けて」と言い、その後「助けて」にあたる英語で「ヘルプミー、ヘルプミー。」と繰り返して被告人に助けを求めた。そこで、被告人は、体を右に回転させて播磨安年の方に向きを変え、甲野花子に対して更に攻撃を加えることはやめるようにという意味で両手を胸の前に上げ、その掌を播磨安年に向ける仕種をしたところ、同人は左足を右足よりやや前に出し、胸の前で両手を拳に握つて左手を前に右手をやや後に構える、いわゆるボクシングのファイティングポーズのような姿勢をとつたので、同人が甲野花子に対して暴行を加えていたものと思い込んでいた被告人は、これを見て、更に播磨安年が甲野花子のみならず自分に対しても殴りかかつてくるものととつさに判断し、同女及び自己の身体を守るため、殴られまいとして播磨安年の右顔面付近を左足で回し蹴りにしたところ、同人はその場に転倒してしまつた。被告人は、既に立ち上がつていた甲野花子に「大丈夫ですか。」と声をかけたり、その付近路上にいた人達に「警察呼んで。」と大声で三度繰り返した後、長居をすれば播磨安年の仲間が集まつてくるなどして自己が攻撃を受けるかも知れないと怖くなり、その場を立ち去つた。播磨安年は、転倒した際にコンクリート面に左側頭部を打ちつけて、頭蓋骨骨折等の傷害を負い、そのため同人は、同月一三日、中沢病院において脳挫滅により死亡するに至つた。

もつとも、第二回公判調書中の証人星里美の供述部分中には、被告人が回し蹴りをする直前、播磨安年は手を下の方に下げて立つている状態であつた旨述べる部分があり、同人が両手を拳に握つて左手を前に右手をやや後に構える、いわゆるボクシングのファイティングポーズのような姿勢をとつた旨述べる被告人の供述と喰い違つているけれども、被告人が介入した後の事態は、暗い現場でのごく一瞬の間に推移したものであり、かつ大きな音をたてて倒れ、起き上がれない状態にある甲野花子に周囲の視線が注がれる中でのものであることにも鑑みるならば、一瞬の出来事を傍観者において各当事者の一挙手一投足まで正確に認識することはそもそも容易なことではなく、現に星里美は被告人の蹴り足が左であつたのを右であつたと重大な見誤りをしていること、また星里美は終始播磨安年の方を見ていたわけでもないことが認められるのに対し、被告人の方は播磨安年と目の前に対峙していたものであることに加え、そもそも見知らぬ者から「助けて」と言われ、親切心から助けに行つた被告人が特段の事情もないのに播磨安年に攻撃を加えなければならない理由は少しも存在しないのであるから、この点、被告人の供述を措信すべきものであり、前記認定に反する証人星里美の供述部分は措信し難いところである。

三 以上の認定事実によれば、播磨安年は、酩酊して酒癖の悪い甲野花子をたしなめながら、帰宅させようとして同女の体を抱え、それから逃れようと反発する同女との間で揉み合いとなり、そのうち弾みで同女を転倒させてしまつたものであり、親しい間柄にある同女に対し殊更危害を加えようとの意図はなかつたものと認められ、またその場に来た被告人に対しても、もとより積極的に攻撃を加える意図まではなかつたものと認められるから、被告人が見たところの播磨安年の両手を拳に握つて構えた姿勢というのは、突如その場に現われた被告人に対する播磨安年のむしろ防禦的な身構えの姿勢に過ぎなかつたものと認めるのが相当である。してみると、播磨安年が、甲野花子及び被告人に対して急迫不正の侵害をなしていた事実は存在しないのであるから、被告人の播磨安年に対する左回し蹴りの所為を正当防衛行為ということはできない。

しかしながら、急迫不正の侵害がないにも拘らず、被告人は、播磨安年と甲野花子が揉み合う状態から、同女がシャッターにぶつかり大きな音をたてて転倒したのを目撃し、助けを求める同女の叫びで同女の側まで近寄つて助け起こそうとした際、同女から「ヘルプミー、ヘルプミー。」と助けを求められたので、播磨安年の方に向きを変えたところ、同人がいわゆるファイティングポーズのような姿勢をとり、被告人と対峙した形となつたため、右一連の状況から、それまでの経緯や播磨安年と甲野花子との間柄を知らない被告人は、播磨安年が甲野花子に暴行を加えていると思い違いをしたうえ、更に自己にまで攻撃を加えようとしているもの、即ち、甲野花子及び自己の身体に対する急迫不正の侵害があるものと誤想して甲野花子及び自己の身体に対する防衛行為として播磨安年に対し左回し蹴りを行つたものであることは、前記二の2で認定のとおり明らかである。

四 そこで次に、被告人の左回し蹴りの所為が防衛の程度を超えた行為か否かにつき検討する。

前記認定のとおり、被告人は、播磨安年が甲野花子に対してシャッターにぶつけるような転倒をさせるという暴行を加え、更に同女のみならず、これを助けようとした自己に対してまで手拳で殴りかかつてくるものと誤想し、防衛のため左回し蹴りで反撃したところ、同人はその場に転倒し、コンクリート面に左側頭部を打ちつけて、脳挫滅により死亡したものである。

ところで、前記関係各証拠並びに証人並木知徳の当公判廷における供述及び山口剛玄作成の「空手道教範」と題する書物によれば、被告人は、剛柔流の空手三段であり、左利きで左回し蹴りが得意技であること、空手技による反撃方法としては、「急所蹴り」、「足払い」なども可能であつたが、これらはいずれも相手の急所に打撃を与えたり、相手を即転倒させて地面に頭部等を強打する危険性の高いものであること、そして、回し蹴りには、足の親指爪先裏付け根の堅い部分、即ち虎趾の部分で相手を打ち強力な打撃を与えるものと、足の甲の部分で相手を打ちそれ程強度な打撃を与えないものとの二種類があり、比喩的に言えば、前者は手拳打程度の、後者は平手打ち程度の、強さに差があり、即ち後者は手拳で殴打する「正拳突き」よりも威力が劣ること、本件で被告人が使つた左回し蹴りは、足の甲の部分で打つたものであり、通常は打たれた者において簡単に倒れる程強力なものではないこと、従つて、現に本件においては、左回し蹴りの当たつた播磨安年の右顔面付近には何らの損傷も生じていないのであつて、このことは被告人の左回し蹴りによる打撃の程度がそれ程強烈なものではなかつたことを推認させること、ただ偶々当時播磨安年は相当酔つており、しかも同人にとつては不意打ちであつたことから、被告人の左回し蹴りを受けて転倒してしまい、更にはコンクリート面での打ち所が悪かつたことなども重なつて脳挫滅により死亡したこと、しかし、本件はとつさの出来事であつて、当時被告人は、播磨安年が酩酊していたことは知らなかつたし、また、同人を回し蹴りしたのは、それにより同人をひるませて攻撃の阻止を企図したもので、同人をコンクリート面に転倒させることまで意図したものではなく、まして、播磨安年がコンクリート面に左側頭部を打ちつけ脳挫滅により死亡するということに至つては、被告人にとつて全く予想外の結果であつたことが認められる。

そこで、右の事実並びに前記二において認定した事実によれば、播磨安年の行為についての前記被告人の誤想を前提とする限り、その反撃として被告人が播磨安年に対して左回し蹴りに及んだ行為は、相互の行為の性質、程度その他当時の具体的な客観的事情に照らして考察するならば、甲野花子及び被告人の身体を防衛するためにやむことを得なかつたものと言うべき、防衛手段としては相当性を有するものであつて、防衛の程度を超えた行為ということはできない。確かに、反撃行為により生じた結果は重大であるが、反撃行為により生じた結果が偶々侵害されようとした法益より大であつても、その反撃行為そのものが防衛の程度を超えていないものである以上、過剰防衛となるものでないことは論を俟たない。

五 また、以上認定した諸事情の下では、当時日本語の理解力が十分でなく、英国人である被告人が、誤想したことについて過失があつたものと認めることもできない。

六 以上の次第で、被告人の本件行為は、誤想防衛に該当して、故意が阻却され、またその誤想したことについて過失は認められないので、結局被告人の本件行為は罪とならないものと言わなければならない。

よつて、刑事訴訟法三三六条により、被告人に対し無罪の言渡しをする。

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